訃報、増田作一先生ご逝去 

2008年9月20日  田上逸子(旧姓、戸高)、 他皆さん


増田先生ご逝去 2008/09/21 イッコさん

 皆様お変わりなくお元気でお過ごしのことと思います。

早速ですが、附中2年B組で途中まで担任をされていた
増田作一先生が昨日逝去されたそうです。
死因は肝硬変とのことでした。

通夜が本日で葬儀が明日行われるとのことです。

本日の午後、富山栄子さんから連絡がありましたが、出先だったので
ゆっくり確認ができず、帰宅してから誰からかメールが入っているかと思ったのですが、

まだ、そのようなことがないので、私がわかる範囲でお知らせした次第です。

増田先生のご冥福をお祈りします。

                         田上逸子

逸子さん。 2008/09/20 山田澄子

逸子さん。

増田先生がお亡くなりになったと知り、残念に思います。

私にとっては、一言ではいえないほど懐かしく慕わしい先生でした。

先生は書道の大家であり歌人でもありました。

日展、読売書法展、朝日歌壇などに出品されていました。

2年ほど前に「未完の文字」という歌集を出版なさいました。

書道をしているうちに歌を作るようになったと書かれていました。

その歌集から増田作一先生を偲んで、数種抜粋させていただきます。




私達が中学校の頃に読まれただろう歌。


わが授業受けざる生徒探しゆくこのむなしさを常にわが持つ

赤点の故とわかれば答案をしゃくり取りたる子らを叱らず



平成になってからの歌

果てしなく続くつばなの花堤かかる終処を夢に見たりぬ

癒えし妻と古墳のめぐり歩みたり寒の日射しのぬくき真昼を

病歴と書歴と多く似てをりてわが残生のすべてを見たり

野の草のつけゆく花の愛しきに癒えし朝々降り立ちて触る

咲き満ちて深き憂ひのこもりゆく姫女苑の花わずかに揺れて



診断の結果を怖れ待つ日日に筆も硯も洗ひ了へたり

病みて得し病ひの果てを知りたれば今に生くるを幸はひとせむ
 
大方の賞は受けたる才といふも畢ればただに土に還るなり


丈高く伸びて小さき花群るる老いには寂し姫女苑の花

増田作一先生のご冥福をお祈りいたします。


山田澄子

いつ子さん、澄子さん。 2008/09/21 かねやん

知らせてくれて、ありがとう

先に行われた宮崎での同窓会に出席されなかったが、その時には身体の調子が悪い、とも聞いていなかったので心配はしていなかったのだが・・・

だんだん、寂しくなるね。
だんだん、昔が遠くなる感じだね。

澄子さんが書き出してくれた歌、
どれも、味わい深いものですね。
寂しさというより、次第に近づく終わりに悟りを深めて覚悟をしていたような感じがします。

> 大方の賞は受けたる才といふも畢ればただに土に還るなり

読んでいて、哀しみは浮かばず、ただ、こんな心境に、うらやましく思う。
増田先生に、もっと近づいてみたかったな、といまごろ思う。
先生は学校での師だけでなく、人生の師でもあるんだろうな、っていまごろ気が付く、そんな落第生だ。

時既に遅し、ただ後悔のみです。

増田先生といえば中学時代の習字の時間、後ろから黙って筆を持つ手を掴まれ、こうやって書くんだ、って強引に字をなぞらされた思い出だけ。力が強かったなあ、って思い出した。

あの先生からこんな歌が・・・いい先生だったんだな、っていまごろ思うが、あの時代、中学時代にはただただがむしゃらに目の前の関心ばかりを追いかけていて気が付くはずもなし。

・・・

ところで、澄子さん、
「未完の文字」という歌集だが、読んでみたい。
どこで手に入るのだろうか?

それに、さて、この歌の数種、他の人にも転送したらどうだろうか?

かねやん

兼城さんにお答えします。2008/09/21 山田澄子

> ところで、澄子さん、
> 「未完の文字」という歌集だが、読んでみたい。
> どこで手に入るのだろうか?
>
> それに、さて、この歌の数種、他の人にも転送したらどうだろうか?
>
> かねやん
>

この先生の歌集は増田先生からいただいたものですが

宮崎の出版社、鉱脈社、電話0985−25−1758

から出版されています。

松田先生や大西さんもここから本を出されていますよね。

転送に関しては、郡さんにナンショットネットに掲載していただければ一番いいかなと思います。

郡さんいかがでしょうか?

出来ればどうぞよろしくお願いします。

山田澄子

皆さんへ

添付写真をご参照下さい。書道の増田先生が19日に他界されました。
ご冥福をお祈りします。
本日の告別式には川野正智くんが参列し、付中15回卒一同で献花いたし
ました。ご連絡いたします。
これから望まずともこのような訃報の知らせの機会が多くなると思います。
同窓会としての何らかの規約制定の必要性が出てきましたので、各組の
幹事役とも調整していきたく考えています。
雄一くん:還暦同窓会の記念文集・写真集を楽しく読ませていただきました。
      お疲れ様でした。有難うございます。

古賀康夫

澄子さん かねやん

私もお返事をしようと思っていたところ、かねやんに先をこされましたが、
かねやんと全く同じ気持ちです。

「増田先生に、もっと近づいてみたかったな、といまごろ思う。
先生は学校での師だけでなく、人生の師でもあるんだろうな、っていまごろ気が付く、そんな落第生だ。

時既に遅し、ただ後悔のみです。」

私は書道部でしたが、先生が条幅を書かれる時はいつも先生の大きな背中を見ていましたが、
体全体で書かれる書は、力強さや人間味がにじみ出ていました。

ところで、皆さん覚えていますか。
「植村さんが盲腸で入院した」と言うことがありましたが、
誰もお見舞いに行かなかったのです。
すると、増田先生がHRの時間に「君達は植村君のお見舞いになぜ行かないのか?」と怒られました。
それで、亡くなった万利子ちゃんや川崎さんたちとお家までお見舞いに行ったことがあります。
後でわかたったことですが、盲腸ではなくて移動盲腸で入院もしなかったとか・・・。

(昨年、植村さんに聞いたら、当の本人も覚えていないと言っていました)

そのことは、私の記憶に「とても大切な教え」として残っています。
その他にも、「人の家に行った時には、帰ってから必ずお礼状を出しておきなさい」・・とか。
生活面でもいろいろご指導をされていたことを思い出します。

「未完の文字」は2年程前に出版されたそうですが、その頃は既に体調が悪く
先の短いことも予想されていたのでしょうか?
その頃、「未完の文字」を読んでいたら「せんせ〜い!」と、元気をお土産に持って
会いに行ったのに。
そう思いませんか?

どの歌も胸を打つものばかりですが、特に

「診断の結果を怖れ待つ日日に筆も硯も洗ひ了へたり」

「丈高く伸びて小さき花群るる老いには寂し姫女苑の花」

あの偉大な業績を遺された先生がこんな思いをされていたとは・・・。
読んでいて胸が締め付けられそうです。

姫女苑の花がお好きだったのでしょうか。
これからは、姫女苑の花を見るたびに先生のことを思い出すことでしょう。

澄子さん 抜粋して紹介していただきありがとうございました。


私も今回澄子さんや真理子さんから知らされて、初めて「未完の文字」のことを知りました。
10月初めに帰宮するので探してみます。
また、遅くなりますが、ご自宅まで行ってお参りもさせていただくつもりです。

                                  逸子

増田先生の訃報びっくりしました。

担任だったことは覚えているのですが、HRにどんなことを話されたかなんてことは全
然思い出せません。
ただ先生の書道の時間はとても楽しく、
ある時美術の時間かと思われるような授業を受けたことは鮮烈に覚えています。
と言う割には 白抜きの文字だったのか これが文字なのかと疑うような芸術的な文
字だったのか
覚えていないのです。
ただ 書道とは幅広いものだと再認識したのは確かです。
中学2年までで宮崎を離れた私には その後増田先生がどのようなすごし方をされたのか、
ましてや 未完の文字 という歌集を出版されていたなんて 全く知りませんでした。
澄子さんが抜粋してくれた歌はどれも心にずんときます。
すがすがしい生き方をされたのだなと思わせる そんな歌ですね。

心から先生のご冥福をお祈りします。

いっこちゃん、澄子さん、お知らせありがとうございました。

とんちゃん

古賀 康夫 様
ご無沙汰しております。
台風が過ぎてめっきり秋めいてきましたが、宮崎はまだ残暑の様ですね。
東京は今日は午前中はまだ雨が降ってます。
増田先生の訃報連絡有難うございました。
増田先生は付属中1年の時の担任で、確か3学期にご結婚をされたと記憶してます。
結婚祝いにクラス一同でプレゼントをするのに、松本和一郎君と色々品定めをしたのが
思い出されます。貴君の言う通りだんだん訃報が多くなりますね。
19日は私の会社同期の同じ職務で机を並べた友人が亡くなりお通夜でした。
3月に定年退職してこれから人生を楽しむ矢先だったので残念です。
話は変わりますが、8月30日に帝国ホテルでの大宮高校東京弦月会に僕の
コーラスグループが出演しましたが、18回の同期も例年になく多数参加してくれました。
お蔭様で、事務局や実行委員の皆さんからは、色々お世話になりまして、概ね好評を頂きました。
只、運営の実情は諸々の問題を抱えているみたいでした。
今回の企画は、石川(森山)眞理子さんのご尽力によるところが大でした。
又上京の際はご一報下さい。
                         坂田浩一

田上さん、みなさん

岩崎です。

増田先生のご逝去の報をお聞きして、還暦を迎えた我々の人生
行路の大きな時代の変わり目を感じます。

親・恩師・友人が続々旅立たれて、いよいよ我々が色んな集団
で長老・最長老として、見識ある発言と行動が求められること
が増えてきました。

こんな変わり目に立っている今こそ、次の時代を見据えた新た
な挑戦が必要なのでしょうか。

夏の還暦同窓会には骨折で参加できませんでしたので、各地域
の同窓会がありましたらお声掛けください。恩師の思い出も語
り合いたい気持ちです。

隣の空き地に突如芽を出し、咲いた花、彼岸花。

明日はお彼岸、増田先生が亡くなったのもつい先日、
今日の横浜は朝から雨、
雨上がりにカメラ抱えて数枚撮ってきました。

ヒガンバナ、曼珠沙華、特別珍しい訳じゃないが、今年はちょっと気になった花です。



「GONSHAN(ゴンシャン)、

GONSHAN 何処へゆく 

赤い御墓の曼珠沙華 曼珠沙華

けふも手折りに来たわいな・・・・」

北原白秋の歌にあるが、たくさんの人が歌の題材に使っているようだ。
(そういや、数年前にこの歌に関するメールの飛び交っていたっけ?)

それほど目立ち、印象的であり、因縁深い・謂われ、趣のある花です。

私には田舎のあぜ道で見た花、懐かしい花です。


ヒガンバナの出生は、まるでグリーンアスパラガス。
一本ですっくと、というのは少なく数本〜10数本まとまって突如出現しました。


花弁は雨粒が乗りやすい構造になっていました。


近づいてじっくり見てみると、案外、単純、ただただ骨っぽいデザインでした。

増田先生の本、今注文しているが、この花も歌われているかな?
大淀川の川縁を歩いたと言うし、姫女苑も登場しているようだから。

今日はたまたま休み、家にいてちょっと静かな一日となりました。

かねやん


































田上さん
皆さん

先週ブラジルから帰ってばたばたしていると、増田先生の訃報。
母に「増田先生がなくなったらしいよ」と話すと、「私より若かったはずなのにね」と感慨深げ。
そー言えば、先生には「植村は詩人の才がある」とか言われたことがあったな。
中学時代、先生にほめられたのは後にも先にもそれだけだったような気がする。
増田先生のご冥福をお祈りいたします。

ところで、何人かのメールに目を通していると田上さんのメールに何と!私の名前が!

そーなんだ、誰も見舞いに来てくれなかったんだ!
女性陣はともかく、郡とか、春山とか柴田とか、たいぼーとか、藤原とか来てくれなかったのかな?
と!半世紀前のことをぼやいてもしょうがない。

話題を変えて、今年はブラジル移民100周年。
以来、ブラジルは日系人が140万人居るそうです。
私は、100周年イベントの関係で、3日から13日の日程でブラジルに行って日本式の白無垢の結婚式をプロデュースして来ました。
衣裳だけ日本から持っていって、神主、美容着付けもブラジル調達。
初めての神前結婚式とかで、準備が大変。
向こうの人間のいい加減さにげんなりしたのは、連れて行った連ちゅう。

それらのエピソードを、日本に帰って(地球の裏側のもうひとつの日本、サンバの国で白無垢の花嫁)と言うタイトルを作って社内報に投稿しておきました。

それはさておき、アルゼンチン側から見たイグアスの滝は大迫力。悪魔ののど笛というところは確かに吸い込まれそうだね。
コルコバードのキリスト像は、平和台の塔がキリスト像になったようなもの(最も、乗っている丘の高さが違うけど。上を見上げたらめまいがした。)

今回の目玉は、ポルトガル語の教授が一緒だったので、普通の観光旅行では行かないベオリゾンテの世界遺産を見てきました。
どの角度から見ても写真になるとはこのこと、すばらしいの一言。

田上さんから習ったフォトストーリーに仕上げましたので、いつかお見せします。
料理はとにかくどこでもおいしい。日本人の口に合うことをお伝えしておきます。

京都から久しぶりに植村



ヤスさん
久しぶりです、増田先生の死去の情報ありがとう
増田先生は2年生のとき担任でした。私は国語が
苦手(特に文章)だったんですが増田先生に日記を
付けろと言われて1年間日記を付けて毎週提出して
添削を受けた事を思い出しますね。
結果少しは良くなったかな?
上京の時には連絡ください

雄一君
同窓会の報告が届きました。当日は大変お世話になりました
2回目の参加でしたが皆さんと話す時間は2次会を含めても
足らない程に盛り上がりました。これは幹事の力ですね
ありがとうございました
次回も元気で参加したいと思います

大西君
貴殿の本読ませていただきました。私の記憶にある風景が
次々と目に浮かんできました。
              B カッツン(猪股)


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