丸野君のお宅訪問



2012/08/25(土)

松田大蔵君と一緒に、Bクラスの同級生の丸野君の家に行って来ました。
2004年の同窓会で会ったっきり、その後東京にいる時、同窓生との会話の中で、亡くなったとお聞きしました。 
昨年、宮崎に帰って来たので、一度お線香を上げに行こうと思っていました。  ただ、奥さんとは面識が無く、Pちゃん(三浦須美子さん)に奥さんと連絡を取って頂き、松田君が、丸野君と親しかったので、一緒に訪問する事にしました。 
宮崎市から車で1時間半程のドライブで、目的地の小林市に到着、松田君が中学時代に、遊びに行き泊った事があるので、記憶をたどって探しましたが、見つかりません。
住所を基に調べると、運動公園の隣なので、近くまで行きますが見つかりません。 近くのお店で聞くと、丁寧に道順を教えて頂き、無事到着しました。 丸野銘木店を探していたのですが、その同じ工場敷地入口に、ひなもり銘木という看板が掛かっていました。


ひなもり銘木早速、工場入口で来意を告げると、広大な敷地の中、工場と倉庫の間を抜けて、奥の建物にご案内されました。  途中に一軒の屋敷がありますが、これが以前松田君が泊ったご自宅で、数km先の国道近くから、この山あいの工場敷地へ移設したとのお話でした。
一番奥にある、純木造建築の素晴らしいお屋敷から、奥様(典子さん)が出迎えに来られました。 お互い、自己紹介をして、屋敷内にご案内頂きました。

ご挨拶もそこそこに、まずは丸野君の遺影を前に、お線香をあげて合掌、中学時代の思い出や、同窓会の時の会話が、想い出されます。
松田君も同様に合掌し、二人とも、やり残した宿題をようやく仕上げた様に、肩の荷が降りた気持ちになりました。

その後は、奥様と丸野君との思い出話の数々、闘病中の様々な試練の中、ご夫婦二人で、力を合わせ乗り越えながら、充実した時間を過ごされたお話をお聞きして参りました。  ご病気の件は、身内以外には、余りお知らせしない事にされていた様で、親しい松田君や我々も初めてお聞きするお話ばかりでした。
昨年七回忌を済まされたそうで、そうすると、もう7年も経つ事になり、時の流れの速さに、改めて驚かされます。

また、6年前からは、奥様が、右も左も分からない中、ひなもり銘木という会社を設立され、銘木の勉強を重ねながら、会社経営を続けられているそうです。
お子様は二人の息子さんがおられ、それぞれ自分の好きな勉強、お仕事を選ばれたそうですが、2年前のある日、自宅に戻られた、ご次男が突然、丁稚奉公に行ってくると宣言され、お勤めを辞めて、岐阜のご同業の銘木会社に入られ、現在修行中とのお話を嬉しそうにされていました。
あと数年経ったら、跡継ぎとして戻って来る事になりそうで、丸野君も喜んでいると思います。

お昼近くなり、わざわざ準備頂いた昼食をご馳走になりました。 食材はすべて、この敷地内で育てた野菜類と、地採れのもののみ。
先程から頂いている美味しい水も、庭の井戸から汲んでいるそうです。
新婚時代に野菜嫌いだった、丸野君に食べて貰える様に、色んな野菜やお肉を良く煮込んで造った、カレーライスをメインに、みずみずしいサラダ、薄味の和え物、大粒の手造り黒豆などなど。
この土地と丸野君の想いがこもった食事を満喫、小生も、あの松田君も食べ切れず、デザートは残してしまい、大変失礼しました。
(食べるのに夢中で、写真を撮るのを忘れました。 プロ級のお料理と盛り付けです。)

食事が終わった頃、丸野君のお母様も帰宅され、ご一緒に中学時代のお話をしたり、松田君は50年前にお世話になった御礼と、改めてご挨拶をし、和やかな時間を過ごさせて頂きました。  お母様は、今、86歳との事ですが、とてもお元気で上品な綺麗な方です。 半世紀前に松田君がお会いした時は、36歳の若いお母様だったんだとの、松田君の昔話に、皆さんの会話が弾みます。
もう一度、丸野君にお線香を上げて、失礼する事にしました。 玄関で記念撮影をして宮崎に戻ります。
途中、松田君との会話の中で、今、お墓を改築中でもう直ぐ出来るというお話だったので、Bクラスの同級生だけでも集って、お墓参りに行こう!と提案がありました。 大賛成です!
みんな、一緒に会いに行きましょう!

ゴリケン

*ひなもり銘木 ⇒ http://www.hinamori.com/

  

このお屋敷はゲストハウスとして使われており、素晴らしい銘木に囲まれています。
開放的な縁側からは広大な日本庭園が一望できます。(手入れが大変だそうです)


記念撮影1  記念撮影2

玄関前でお母様、奥様と記念撮影です。



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