正智くん花街を語る(宮日記事)

04/09/16 ヤス宮崎特派員


皆さんへ

昨日の宮日新聞に正智くんの講演記事が載ってましたので、少々
読みづらいかもしれませんが、デジカメ写真添付します。

昭和初期の松山町が新潟、松江と並んで地方三大花町と言われたとは!
宮崎もいい時代があったもんですね。

古賀。


(カネヤンより返信がきました)

ヤスさん、お久しぶり。
そうか、正智君が懐かしい感じだ。

それにしても”宮崎の花街”など思いもよらぬテーマに驚きだね。
戦前に興隆し、戦後にも続いたというその空気は正智君の生い立ちにも影響を
及ぼしてたようだ。
わが団塊の世代、貧しく、ただ元気でたくましく育っていった少年時代だ
が、”町の子と田舎の子”に差があったのかもしれない。
田圃に囲まれ、神宮や平和台の雑木林の中が”陣地”だった小生たちとは感覚
的に大きな開きが出ていたかもしれない。
”野球拳”なるものを名前は別としても見る機会があった少年と”長襦袢”な
るものの存在すら知らない少年との開きは大きい。正智君の中学時代からのあ
のどっか大人びた雰囲気がそれかも知れない。そういや、ゴリケンや柴田君、
ヤスさんあたりもそうかもしれないね。

田舎の子、それはカッツンであり、俺であり、、、だろうね。
改めてその頃をことを、冷静に振り返ればいろいろ納得できることが多々あり
そうだ。
同じ!餓鬼ンチョ”とはいっても、その中身には差がある。当時はただ同じ仲
間で元気に遊び、学び?していただけなのだが。
それにしても付属中学の中でもその差があったとしても、その他の学校に通う
子供たちとの差はもっともっとだろうね。それらとて当時はよく理解できずに
いた。
今の子供たちの抱える地域差などわれわれの時代のそれと比べれば深刻なもの
ではないだろう。情報が飛び交うこの時代が良いのか悪いのか、それは別にし
て、時の流れの早さを痛感。

それはそうと、今もその”名残”なのだろうか、西橘通りの夜遅くまでの賑や
かさは?

ま、こういうことも時にはゆっくり振り返ることも面白いものだ。

久しぶりに一言書きたくなったかねやん、でした。

PS:> 宮崎もいい時代があったもんですね、ってヤスさん、今の時代、いい時代じゃない、ってこと、
    男には受難の時代、ってことかい?


(その通り!ゴリケン管理人)

ところで平成12年12月31日に、正智の祖父の「紫明館」の番組があったようだ、

誰か聞いた人はいませんか?

参考に番組の内容をHPで探したので以下参照。

1.開催日 平成13年4月10日(火)
  宮崎放送、番組審議会にて

2.議 題 (1) 平成13年度の番組審議会の体制について
(2) ラジオ番組「歴史再現ドラマ・紫明館物語」の視聴と合評
(放送 平成12年12月31日(日)13:30〜14:30)


3.議事の概要
審議会ではまず宮崎放送の後藤弘美社長があいさつの中で21世紀の記念すべき2001年度、4人の新入社員を迎えた事。又今、表現とメディアの自由を侵害する恐れが強い規制・立法があるが、それら法案の提出や審議について再検討するよう要望しているなどと述べました。この後、新任の三宅玉恵委員と岩切道郎委員からあいさつがあり、委員の互選により、新委員長に綾部隆夫委員が、副委員長に原田京子委員がそれぞれ就任されました。今月の審議番組はラジオ番組「ドラマ紫明館物語」です。これは平成12年12月31日に放送された、6時間特別番組「さよなら20世紀・宮崎の100年」の中の軸になる番組で、宮崎の社会やくらしの歴史を再現ドラマで描いたものです。

<委員の批評概要>
*歴史の息吹を苦労して再現しており、100年の歴史が良く分かる企画である。
宮崎一の料亭を通して、文化と歴史を改めて知ることが出来た。
*時代をイメージできるドラマで、音楽の使い方が良かった。
*100年の歴史を短い時間で描いてあり、やや掘り下げて不足だった。
*宮崎の今の食文化とのつながりも描いてほしかった。
*構成がおもしろかったが、ながら聴取するにはキツイ番組ではないか。
*今後も宮崎が分かる番組を企画してほしい。

以上

 


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