附中1999年同窓会の報告

幹事:兼城 明男、石川 真理子

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宮大附中15回卒1999年同窓会の報告

【日 時】 1999年2月6日(土)  PM5:00〜9:00

【場 所】 東京ガーデンパレス。

【参加者】 37名(内訳、女17人、男20人)クラス別内訳(A-8人、B,C,D-各9人他2人)

【幹 事】 森山(石川)真理子(B)、兼城明男(B)

【式次第】

 5:15 開会あいさつ
     津曲秀忠先生と小吹哲郎君を追悼して黙とう
     乾杯の音頭(郡 研三君)
 5:30 歓談と飲食パーテイー
 5:45 参加者の「近況報告」-----約1時間
 7:10 来年度同窓会幹事の推薦決定----女性はA組の猪ノ坂(山田)澄子さん
                    男性はD組の黒木一實君
     ――――――  一次会終了 ----- 休憩10分
 7:20 二次会開始(同会場で)
     司会を坂田浩一君に交代。宮崎から駆け付けた斉藤(日高)陽子さんがアシスタント。
 7:25 ビンゴゲーム。
 7:45 自由歓談と飲食。予定していたカラオケは中止。
 8:55 締めの附中校歌斉唱
   『今日の日はさようなら』を同窓会の持ち歌として斉唱。
 9:10 閉会のあいさつ(植村一彦君 ガーデンパレス支配人)
     来年、皆が元気で再会できることを確認して終了。

【形 式】 立食パーティー  6つのテーブル(青島、子供の国、一ッ葉、平和台、尾鈴、日向ライン)


1、全体の感想

 とにかく、今回の同窓会は人数が多かった。
 37人という数は過去の同窓会が22〜3人、多くても25人だったことを考えれば”すごいこと”だった。  なんで?という感じだ。
 多分に、小吹君の突然の”死”が影響していたと思う。余りにも突然の出来事にショックは瞬く間に広がった。 12月6日の”お通や”と翌日の”告別式”に25人の旧友が駆け付けたことを見れば良く解る。(ここの場に、福岡にいる高雄善裕君と神戸にいる後藤和夫君も参加していた!が誰も気づかなかった)

 旧友の”死”はまた、ひと事ではなく自分自身の問題でもあった。皆、なんらかの感慨をもって参加して来たようだ。『近況報告』のあいさつの中で、小岩屋(阿部)倫子さんも触れていた。「”死”の問題が遠い先の話じゃなく、目前の問題になっている、このことを考えつつ生きていく。同窓会への参加問題もそれと結び付けて考える」という趣旨の内容はそのとおりだと思う。
 準備した幹事側にも同様の感情があった。こんな機会だ、今まで参加できていなかった仲間、連絡の取れなかった人、にできるだけ参加してもらうことは当然としても、仮に参加が不可能でも最低、何かの時には連絡がとれる”関係”を回復しておきたい、との思いが強かった。そのために、多くの仲間達の情報と力が集められる必要があった。その努力が集められた結果だった。
 猪ノ坂(山田)澄子さん、鮫島(岡)泰子さんが、黒木一實君が、植村一彦君が動いてくれた。古賀康夫君がつながりを回復してくれた結果一政三郎君が参加表明をしてくれた。(直前に仕事で不参加、ということになったが) また、河野慎一郎君(大宮高校幹事、特別参加で写真係り)の働きかけも忘れることができない。結局不参加であったが大阪にいる住田祐三君からの写真とメッセージが届けられ、懐かしい顔を見ることができた。こんな形の協力が今回の成功の要因なんだろう。


     (例年になく多くの人が返事を寄越してくれた。その中のメッセージで多くの人が小吹君のことに触れていた。)


 今回初めて参加、もしくは久しぶりで珍しい人、遠くの人の参加が皆の気持ちを盛り上げたことも大きかった。前述の一政君、春山豪志君、星正治君などの初参加組、10年振りという角谷(佐藤)豊子さん、久しぶりの足利(上村)素子さん、谷川和郎君、遠方からの斉藤(日高)陽子さん、綾部(加登)裕子さん、日高(土田)敬子さん、それに倫子さんなどが参加するという情報は、この同窓会に寄せる皆の期待の高さと気持ちの一体感を物語っていた。

 もうひとつ、あるだろう。
 こんな”情報”や”皆の気分”は、準備の過程で随時伝えられていった。そのための超便利な『手段』があったことが大きい。そう、インターネットだ!
 この同窓会はある意味では、その準備過程で急速に広がり、活発に行き来し、活用されてきた『E-mail』なしには成功しなかったといっても過言じゃない。この『手段』があってはじめて皆の一体感と相互理解が深まっていった。これは、とにかく楽しかった。そして、今もつづいている、、、、、。 
 会社勤めで、コンピューターと向かい合って仕事している人には少々邪魔になるくらい、(一部の人には感情を害した人もいたかもしれない、とすればゴメン!)の頻度で情報が、バカ話しが飛び交っていた。これが大事だった。 

 松本紀夫君のことも皆の仲間意識を高める上で大きかった。彼とつながっているということ、を実感する手段ともなった。彼にも我々の情報が伝わり、逆に彼の頑張りも伝わってくる、ということがさらに一体感を高めた。郡君が作ったホームページ『twins plaza』は情報収集、発信の基地になった。
 みな始めたばかりだが、これを機会にもっともっと広げ、活用に習熟したいもんだ。
 冒頭の”なんでこんなに集まったのかな?”という疑問はこれで理解できるとおもう。

 さて、成功した、盛大で賑やかな同窓会だった、というのは人数の問題だけじゃない。
 植村君の尽力でなんのトラブルもなく、不満もなく、滞りなく運営できた。ホテル側からすれば当たり前のことかもしれない。が、不馴れな幹事とすれば、イの一番に感謝したい気持ち。カズ、この場を借りて、重ねて、ありがとう!といいたい。(予算の面でも彼には無理をさせてしまった!)

   加えて、ビンゴゲームのために準備された”賞品の山”も参加者の期待を高めた。
 湯地友憲君と大山修君から宅急便で届けられた賞品の山は圧巻だった。健康飲料品セットと数本のワイン、中高年の必需品になっている薬と肌荒れ防止のクリームのセットが人数分準備された! そのために準備されたテーブルは賞品の山で埋められた。また、陽子さんからは“かるかん饅頭”が、何人かからはテレホンカードが準備された。これらを持ち帰るために紙袋まで用意された。
 他にも多くの人が様々な賞品を持って来た。(とは言っても、全員にではなくメールで直前に依頼しただけだった、のだが。以後、ビンゴをやる時は予め依頼した方がいいと思う)そしてビンゴゲームがこれほど真剣に、目の色を変える程に集中した決定的な賞品は、カッツンこと猪股捷宜君がもってきたポラロイドカメラだ!


2、少年時代を彷佛とさせるビンゴゲーム

 ついでに、この時の雰囲気をちょっとだけ報告。
ビンゴは7:20からの二次会の冒頭で行われたが、この時の皆の集中力は、見事。
それまでざわざわし、私語が飛び交い、会話に花開いていた会場が、し〜〜〜んと静まり返り、司会をした坂田君の澄んだ声とゲーム機の機械音だけが会場に響いていた。誰も手許のカードに釘付けになっていた。
 修ちゃんが一番にリーチになり、ついで久世(田辺)文子さんがリーチになる。皆の焦りがたかまる。その後、数人がリーチになるものの、なかなか”ビンゴ”にならない。会場に異様な雰囲気が立ちこめる。
 多くの人々の頭上に権利が提供された、が、まだ、一度も数がこない不運な人もいた。坂田君が「まさかとは思うが、まだ一度も数があたっていない人がいたら手を挙げて」といわれ人々は初めて、一瞬、我に返った。そして、会場を見回す。
 恥ずかしそうに、2人が手をあげる。恥ずかしい話ではないんだが、不運のなせる業なんだろう。手を挙げたのは小田(木田)芙美子さんと小田幸男君。(”小田”という姓がビンゴと相性が悪い!ということが証明されたようだ)
 そして、その直後、「やった! リーチだ〜〜!」という嬉しそうな声が会場に響く。小田君だ。ということは、、、、この日一番の不運は芙美子さんに決定。可哀相。(賞品は良いものが手に入ったようだ)
 ビンゴはこれで2回目の試み。今回の印象的出来事のひとつだった。
 ところで、幸運の1位、カメラを手にしたのは誰だ。こんな偶然があるんだろうか、一番?無欲で、幹事役に徹していた小生、カネヤンこと兼城明男君の手中に!。皆の恨めしそうな顔を全く無視して、有り難く頂戴したことは、皆さん、忘れてください。

 なんの話だったか、忘れるところだった。
 もうひとつ、ビンゴが盛り上がる賞品があった。
 それは近藤充輔君が持って来た、大粒の、数は20個くらい入った2袋の”キンカン”だ。袋の外から見ても水々しく、皮にツヤと張りがあり、弾けそうな、キンカン。皆がほしがった。「カメラ」の次のネライ目はこれだった。  賞品が進み、ようやくキンカンの番。2人しか権利がないのにどうしたことか、4人が同時にビンゴになってしまった。一實君、新垣隆春君、星君そして?の4人だ。当然、”ジャンケン”だ、真剣な表情の4人を皆が見つめる。その目も真剣、特に女性陣の目が輝いていた。そして幸運の女神は、一實君と新垣君の頭上に、、、。
 だが、事後談がある。キンカンはそう簡単に事態を終わらせてくれなかった。ゲットした一實君の一つは、どう言うわけか澄子さんの手にわたり、一實君の手にはワインが、、、。そして新垣君のゲットしたものは、これはちょっとややこしいが、結局は、文子さんの手に渡った。最後に笑ったのは、結局、2人の美女だった。ン?、とすれば、新垣君の手には、一實君が交換したはずのワインが残り、一實君の手には、文子さんの手にあったカラーペンが、。
 ところで、2袋のキンカンは、宮崎市長の津村君が贈って来たものだと言うことを、2人には伝えておきたい。あとで、その味については2人からじっくり聞いてみたいもんだ。 

そう言えば、もう一つの目玉は協和発酵のワインだ。6本が用意された。
これまた、皆のねらいのひとつだった。そのうちの1本は上記のとおり、もう1本の行方だが、それはゲーム中はカッツンの手に。が、いつの間にかヤンモチがしっかり胸に抱いていた。経過は不明、写真にはその時の場面が写っていた。結局、得をしたのは今回も女性だけ、ということか。残り4本は何処に?
 
 “ビンゴゲーム”は子供達の大騒ぎ、そのものだった。そこには、家で、会社でみせる51才の顔、親の権威、管理職の威厳など微塵も感じられなかった。同窓会だけが作れる、解放の場ならでの出来事だった。
 2次会はこんな雰囲気で開始された。


3、『近況報告』から

 恒例の行事、だが、幹事としては大いに悩む問題だった。
 常連だけの集まりになると、「近況」に激変!が起らない限りそうたいした報告にはならない。聞く側も周りとの話に夢中で、「報告」に耳が向かない。残念ながら、わが仲間達は”聖徳太子”じゃなかった!
「やっても仕方ない」というのが今まで、一部の例外を除いて。
 今年は、そうはいかない。是非聞いてみたい、知りたい、という旧友の『近況』が沢山あるんだから。

 ”激変”といえば、緒方常良君と郡君だろう。
 勤務先の日本国土開発が会社更生法を申請、事実上の倒産で先が不透明な毎日を余儀なくされた常良君。経理という仕事の性格上、深夜まで会社に拘束される毎日、たまの休日は睡眠。可愛い息子(中学何年?だったっけ)とのゆっくりした時間がとれないのが辛いだろう。
 郡君はもっと大変かもしれない。軌道にのっていた惣菜と弁当屋が、知人の借金の「連帯保証人」になっていたためその倒産の直接影響を受け、会社を手放さざるをえない状況に追いやられた。現在、無職。新たなメシの種を求めて連日頑張っている。が、その報告は、惨めな、暗い雰囲気を微塵も感じさせないものだった。
 この2人が一番の”激変”だったようだ。
 他にも小さな”変化”があった。幸男君が会津若松へ、高城和憲君が宮崎へ、古賀君が福井県から大阪へ、と単身赴任の嵐。勿論、報告には現れない、出来ない個人的な難しい問題を抱えた人の話もある。
 こんなことには耳を傾けた。

  また、”一部の例外”も欠かせない。代表的な話は、湯地君とこの2人の息子の話し。  さて、今年はどんなヘアースタイルになっているのやら、というはこの同窓会参加者の関心事だ。今年は、なんと、2人とも、“スキンヘッド”、ツルツル坊主になっている!という。
 こんな話が続くと、おもしろいが時間が足り無すぎる。

 そこで、今年は、常連は1分、そうでない人達は3分という時間制限を作ってやることにした。 これは成功だった。予定の1時間、という時間がどうにか守られた。


 【初参加者や珍しい人の報告、その一部の要旨】

 福島で「ミニ同窓会」が開かれた、という報告は、倫子さん。
 福島には、御主人の阿部成治君、黒田研一君、そして当日参加している幸男君の4人がいる。九州の南国から同級生が4人も集まったという偶然は不思議。会津磐梯山の麓の温泉で合流、旧交を暖めたということ。同時に、5月に、新緑と温泉、山登りが楽しめる会津に遊びに来ませんか、という呼び掛けも行われた。

 照れ屋、シャイな春山豪志君の参加は皆の待ち望んだことだった。目立ち屋で元気者(ちょっと、きれいごと過ぎたか?。要するに、当時の古賀、大西、郡などと並び称するワルに一人、だったよな)の彼がいなことには、”附中の同窓会”にはならない。画竜点睛を欠く、というだろう。イヤ、これはいい時に使う言葉だったな。  彼の親父さんの”甚左エ門”?さんは特に有名だったが、どうしても彼の頭の方に視線がいく、のは俺一人じゃないとおもう。
 今、MRTの社宅に夫婦2人住まい。金喰い虫の大学生の息子との同居を期待しつつ東京転勤を承諾したのに、息子に拒否されたという。

 10年ぶり参加の角谷(佐藤)豊子さん、はや、”おばあちゃん”になったとのこと。その喜びの報告は心のそこから孫の可愛さが伝わってくるようだった。
 報告をする彼女の凛とした姿が印象的だった。“薙刀”を趣味として今も続けている、との話に皆も納得。中学時代の彼女、そんな印象はなかったようだが、いつからなんだろうか。

足利(上村)素子さんも久しぶりの一人だ。喋り方に職業が表れているのがいい、そう、学校の先生だ。
 カッツン、どうだ?先生に怒られた昔を思い出しただろう。か弱い女の子だった彼女、心を傷つけられた思い出は36年間色褪せることはなかった。加害者のカッツンは当然!すっかり忘れていた。
とはいっても、彼女の反撃もたいしたもんだ。針金を何度も折り曲げ、熱くして後ろからカッツンの首に押し付けた、という。が、その被害者のカッツンが忘れているというのがおもしろい。
 彼女の報告はもっともっと素晴らしいものだった、はずだが、これしか覚えていない。

 遠方からの珍客の一人は広島から参加した星正治君だ。
広島大学で放射線問題を研究している”博士”だ。(後日、放送されたNHKの『原爆投下 10秒の衝撃』で中性子の影響を研究している星博士が登場した、その本人だ。ーー古賀君からの報告) 
昔からおとなしく、物静かな彼は、今もその雰囲気は変らなかった。ただ、その頃に比べ、顔から首、腹にかけて横に肉付きが良くなっていた、だけだ。と言っても皆似たようなものだが。
ただ、「近況報告」の後の彼の、”近況”はちょっと違っていたようだ。酒を飲むとちょっぴり雰囲気が変って来た。その様子はここでは省略、ご想像にまかせます。


4、常連組と会場でのエピソード

常連組の「近況報告」は人それぞれ。
例えば、渡部太君。「田村(高島)美佐子さんが久しぶりに参加しているので楽しみです」と大胆?な挨拶、その前後の趣旨が不明なためそこだけが印象的だった。 そう指摘された美佐子さんの方は「義理の母親、主人、子供達5人を抱え、3度の食事作りの毎日が大変」という。今どきめずらしい大所帯の家族の中で奮闘振りが披露された。おっとり屋の彼女もいつの間にか“肝ったま母さん”に変身。
 そんな2人、歓談タイムにはテーブルの一角で楽しそうな2人だけの話に夢中。

 男性陣憧れの綾部(加登)裕子さんはわざわざ神戸から参加してくれた。懐かしいN君との再会は彼の欠席で今回も(そう、2年前も彼女は参加してくれたのだ)叶わなかった。その彼女、今回は谷川君、慎一郎君などに囲まれ楽しい一時を過ごしていた。3次会の終了後は、古賀君にエスコートされて小平にいる娘さんのマンションに戻った。

  その谷川君も常連だが、久しぶり。新潟から横浜の海上保安庁へ、そしてようやく古巣の運輸省に戻ってきた。現在51歳、「そろそろ、退職して天下り先を探さなきゃ」という。まだ、ちょっと早いんじゃないか、とも思うがそれが省内での常識らしい。

  賑やかでいつも元気な日高恵子さんはいつもの通り。こういうと「私も大変なのよ」と反論されそうだが、そんな存在感がいつまでもあってほしいもんだ。友人の作品集を宣伝していたが、本人の作品集ができるのはいつだろう。

ひだかけいこ!といえばもう一人の日高敬子こと、現在は土田敬子さんがわざわざ大阪から駆け付けてくれた。駆け付けた、文字どおり時間が相当すぎた頃に、駆け込んで来た。息を切らせながら。前回、2年前もそうだった。その場が賑やかになる。今年も元気そう。

駆け付けた、といえば、今は宮崎に単身赴任している高城和憲君も時間ぎりぎりだった。 羽田空港から直行ではなく、ひと仕事してからの参加。今は仕事熱心な彼、イガグリ頭で、ワルの一歩手前みたいな中学時代からは“大変身”だ。ただ、宮崎では独身生活、風の便りでしか知らないが、西橘通りでよく見かけるという。彼も近々、鹿児島支店へ移るという、ここもまたリストラの嵐か、、、。

 松田隆君は相変わらず、という訳じゃなかった。今の仕事になってから、その忙しさはさらに大変そう。とはいっても彼の場合、自ら大役を担って動く方だ。今回は東洋一という中古車展示会場を八王子にオープン、その関連の仕事と一部上場の準備の裏方で忙しかったようだ。それにしても、少し前に比べてふっくらとして元気そうだったのはよかった。

  鬼塚(斎藤)文子さんも常連組だが、ここ3年、御主人の南アへの海外勤務で不参加だった。また今回から復帰、とはいえ、身の周りの状況は大きく変った。御主人がプロゴルファーへの道を目ざして、昨春会社を退社、今奮闘中とのこと。今年初のシニアプロテストを受験するというが、生活の見通しが立たない今、寝れない毎日が続いているのでは、、、、。とおもいきや、見かけとは180度違い、で〜〜ん、と構えているようだ。

 昔からちっとも変らない人達が何人かいる。その一人が、女性では鮫島(岡)泰子さん。中坊さんが代表の『住専』に再就職している御主人の仕事が忙しいという話だが、本人の雰囲気は昔のまま。澄子さんとのコンビもいつもの通りの参加だった。
 
もう一人は、富田(岩田)幸子さんだ。イギリスの会社を退社して御主人のやっている地唄のマネージャーを始めているという。来年に企画されている宮崎での公演の準備でときどき、宮崎には行ってる。一度御主人の演奏を聞いてみたいものだ。
 
小田(木田)芙美子さんもいつの間にか常連組。高熱と咳のインフルエンザで1ヶ月苦しみ、ようやく回復したという彼女。その時のやつれを隠すためと言う奇抜な(本人いわく、鳥の巣)ヘアースタイルは“巣鴨のママ”そのものだった。新垣君との話がとても楽しかった、と思い出を語っていた。
同窓会は、新たな友を見い出す場でもある、と実感。

附中出身じゃないが、大宮高校の同窓会幹事で常連?になりつつある河野慎一郎君も例にもれず、会社でのリストラの嵐と息子との確執に今なお頭を悩ましている様子。報告での中心はそんなこと、誰もがシュンとする一瞬だ。ひと事じゃない話だよな。


5、最後にーー52本の深紅のバラが語るもの

二次会を同じ会場にしたため、(とはいっても、会場設営を変更しての)皆がゆっくりできた。 話が弾んだのも今回の特徴だろう。
 4時間はあっという間に過ぎた。解散はいつものように名残り惜しそうな雰囲気だった。が、三々五々解散した。  桜木(丸太)玲子さんは手に持ちきれない位の荷物を持って帰った。ビンゴの大きな賞品と参加賞の紙袋、松本君からのバラの花を両脇に抱えていた。無事、帰れたんだよね? 近々、宮崎に御主人と一緒に引っ越しするかもしれない、と話していた。

そう、松本君が参加者皆に用意してくれたバラの花、見事な花振りだった。大きな花弁、深紅で重厚な色、すっとした姿、そして、家に飾ってても日持ちが良かったという。これは女性陣には大好評だった。
 こんな花を希望した彼と、その期待に応えて準備してくれたヤンモチこと山本(田尻)郁子さんに改めて感謝。1本1本を透明のラップに包んだ52本のバラを想像してみて欲しい。一抱えもあるそれを運んで来たのだ。ご苦労様。
 ところで、なんで52本なんだ?という声があるが、それは彼がもうすぐその歳になるからだ、という。みな同級生だ、同じ年に52歳になるんだが、彼にとってその誕生日を無事に迎えられるかどうか、その意味は特別だ。   彼の祈りと決意が込められたその52本のバラを皆がかかえて帰った。

 今回の同窓会を参加者だけの喜びにしたくなかった。
 参加したくても出来なかった人、(とはいっても仕事、用事があった人じゃなく)病で床に臥している仲間達に同じ気分を味わってほしい、ということで『寄せ書き』を皆に書いてもらった。
一枚は松本君に、もう一枚は、喘息に苦しみ、入退院をくり返している岩村(大串)朋子さんに。
懐かしい名前を見つけ出し、昔を思い出し、明日の出合いを楽しみに再起してくれることを期待する。

来年はいよいよ2000年だ。
同窓会もまた、新たな試みが行われるといいですね。
澄子さんと一實君に来年を託して。

1999年2月6日   
                             15回卒附中同窓会の報告
                               幹事:森山(石川)真理子
                                  兼城 明男(文責)
PS  住所変更や訂正、追加報告など
@ 古賀君の住所が旧いままでした。新住所は次のとおり
  〒 184-0013 小金井市前原町5-14-17
A 木田さんのE-MAILアドレスが変更になりました。
  新アドレス  woodsy_fy@msg.biglobe.ne.jp
B 植村君が4/1付で京都のガーデンパレスに転勤になります。
C 会の後、多くの人からメールで感想が寄せられました。その中のひとつ久世さんからこんなのがありました。
 「とっても、とっても楽しい同窓会でした。あの人数、あの雰囲気、みんなひとりひとりの心が和んだすばらしい
 同窓会だったと思います。・・・湯地さん、大山さん他たくさんの方達の温かい心強い協力にも、心から感謝しま
 す。・・・ただひとつ淋しかったのは、いつも皆んなが近況報告をしてる時に、大きな声でヤジを飛ばしながら
 ふんぞり返ってすわっていた小吹さんがいなかったこと。」
 




スナップ写真集

   


   


   




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